イエスの十字架上の言葉(映画のパンフレットより)。 上にラテン語、下にアラム語で「ユダヤ人たちの王、ナザレのイエス」と記されています。 (聖書の記述では、ギリシア語・ラテン語・ヘブライ語) 下段の文字は、パレスチナ地方のユダヤ人が用いていたアラム文字の一種です。 シリア文字音訳で「エリ、エリ、レマー、サバクタニ」(シリア語訳聖書より)。 「我が神、我が神、なぜ、私を見捨てたのか」というイエスの有名な言葉です。 |
アラム語 | 発音 | 日本語訳 | 参考 |
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〜アク | -ak | あなたの | 名詞の後につなげて所有格「あなたの」を表します。 例:'abbak(あなたの父) |
★アドナイ、アドネー | 'adnai | 主 | ヘブライ語。アラム語で「アドン」。※コラム「アドナイ」参照 |
アナー | 'ana' | 私が | ゲッセマネの園で大祭司の手下がイエスを探していると、 イエスが「アナー・フゥ」(私が彼だ)と答えます。 アラビア語でも「アナー」(أنا)。 |
★アバア、アッバ | 'aba', 'abba' | 我が父 | イエスの神に対する呼びかけ。 単に「父」は「アブ」('ab)で、アラビア語と同じです。 |
★アント | 'ant | 君、あなた、お前 | サタン(悪魔)がイエスに「マン・アント(お前は誰だ)」と訊きます。 ローマ兵が通りがかったキレネ人シメオンを「お前」と呼び止めます。 アラビア語では「アンタ」(أنت)。 |
アントーン(アトーン) | 'antoon | あなたたち | 聖書のアラム語では「アントーン」ですが、 パレスチナ方言は「アトーン」だったと思われます。 アラビア語では「アントゥム」(أنتم)。 |
〜イ | -i | 私の | 名詞の後につなげて所有格「私の」を表します。アラビア語の「イー」(يّ)。 例:'eli(私の神)、bari(私の息子)、'eemi(私の母)、gishmi(私の身体)。 |
★イェシュア、イェスワ | Yeshu`a | イエス | ユダヤ人のごくありふれた男性名。 意味は「ヤハウェ(神)は救いなり」。※コラム「イェシュア」参照 ちなみにアラビア語では「イーサー」(عيسى)。 |
イサラブ(イツラブ) | 'itslab | 十字架に架けろ | ユダヤの祭司や民衆が、「(イエスを)十字架に架けろ」と叫びます。 |
★エイ | 'eih | どこ | 聖書ヘブライ語。アラム語的にはエテ('etay)またはアーン('aan)か。 大祭司の手下がユダに「エイ・フ」「彼(イエス)はどこだ」と訊きます。 ヘロデ王も同じ事を言います。大祭司がイエスに「王国はどこだ」 (エイ・マルクータ)と訊きます。 |
エナフヌ(エナフナー) | enaxna | 我々 | アラビア語では「ナフヌ」(نحن)。 |
★エーミ | 'eemi | 我が母 | 'eem(母)+i(私の)。 映画ではイエスの弟子ヨハネやペテロがマリヤをエーミと呼んでいます。 |
エーム | 'eem | 母 | アラビア語の「ウンム」(أمّ)と同根。 |
★エラーハ | 'elah | 神 | ※コラム「エラーハ」参照 |
エリ | 'eli | 我が神 | 'el(神)+i(私の)。 ※コラム「エリ、エリ、レマー、サバクタニ」参照 |
エリヤ | 'eliya | エリヤ | ユダヤ教の預言者の名。「我が神はヤハウェなり」という意味。 |
エン | 'en | もし、〜なのか | 大祭司カヤパがイエスに「お前は救い主、生ける神の子なのか?」と問います。 |
カイサル | qaysar | ローマ皇帝 | 「ケサール」とも。ローマ皇帝が英雄カエサルの後継者(養子)であることから、 ローマ皇帝をこう呼びます。 |
カシュト | qasht | 真理 | イエス曰く「やがて助け主が現れ、神の真理を明らかにするだろう。」 「私は道であり、真理であり、命である。」 ちなみに総督との会話ではラテン語で「ヴェリタス」と言っています。 |
カシュト・エラーハ | qasht 'elah | 神の真理 | 「カシュト」を参照。 |
カデシュ | qadesh | 聖所、神殿 | 「バイト・カデシュ」を参照。 |
ギシュミ | gishmi | 我が肉体(身体) | gishm(肉体)+i(私の)。 マリヤがイエスに「我が肉体から生まれ、思いをかけた全て…」と言います。 イエスが「これ(パン)を取って食べなさい。これは私の肉体です。」 と弟子たちに言います。 |
ギシュム | gishm | 身体、肉体 | アラビア語の「ジスム」(جسم)と同根。「ギシュミ」を参照。 |
★クム、コム | qum | 立て | イエスを捕らえたユダヤ人が同僚マルクスに「立て」と言います。 ローマ兵が倒れたイエスに「立て」と何度も命じます。 マルコの福音書5章41節の「タリタ・クム」(少女よ立て)も有名です。 アラビア語でも「クム」(قم)。 |
クル | kulu | 全て、毎〜 | イエスが「主よ、あなたには全てが可能です」と言う。 総督が「毎年、囚人が一人釈放される」とバラバを引き出します。 アラビア語の「クッル」(كل)。 |
★ケーファ(ケーパ) | ke'fa' | ペテロ | 十二使徒シメオンのあだ名で、意味は「岩」。※コラム「ケーファ」参照 |
ケン | ken | はい | ヘブライ語。母マリヤが「お腹すいた?」と訊くと、 イエスが「はい」と答えています。 |
ゴルゴタ | Golgotha | ゴルゴタ | 映画中には名が出ませんが、イエスが処刑された刑場の名「ゴルゴタ」は 「どくろの丘」という意味だといわれています。 この名はヘブライ語あるいはアラム語であると考えられています。 |
コーン | koon | あなたたちの、を | アラビア語の「クム」(كم)。 |
サナ | sanah | 年 | アラビア語でも「サナ」(سنة)。 総督が「毎年、囚人が一人釈放される」とバラバを引き出します。 |
サバカ(シャバカ) | sabaqa | 去る、放棄する | ※コラム「エリ、エリ、レマー、サバクタニ」参照 |
サラー(ツェラー) | tselaa | 祈りなさい | イエスが弟子にこう言っています。 |
サルブ(ツラブ) | tslab | 十字架 | アラビア語の「サリーブ」(صليب)と同根。 |
シュダク | shdak | 鎮まれ | 大祭司カヤパがたびたび群集にこう命じます。 |
シェマア | shema`a | 聞け、聞いて | 母マリヤがマグダラのマリヤに「聞いて」と言います、その他。 |
シャダイ | Shaday | 悪魔、全能者 | ※コラム「シャダイ」参照 |
シャバト | shabat | 安息日 | ユダヤ教徒が働いてはいけない休日(土曜日)のこと。 |
シュテイ | shtey | 飲め | 「飲む」は「シャター」。 総督がイエスに「飲め」と杯をすすめます。 イエスは弟子に「飲め」とすすめます。 |
シュマヤー | shmaya' | 天 | アラビア語の「サマーゥ」と同根。 |
シュラム | shlam | ようこそ、万歳 | ユダがイエスに「ようこそ、我が師」とキスであいさつをします。 |
ダム | dam | 血 | エダム('edam)とも。アラビア語でも「ダム」(دم) |
ディ | di | 〜の | 関係代名詞。所有格「〜の」を表す。※コラム「イェシュア」参照 |
テラティン | telatin | 30 | 大祭司が「(銀貨)30枚だ、ユダ」と報酬を渡します。 |
★ドナー | denah | これ(が)、この人 | 大祭司の手下がユダに「この人(イエス)はどこだ」と問います。 ヘロデ王が「これがナザレのイエスか?」と訊きます。 イエス曰く「食べなさい。これが私の身体だ。飲みなさい。これが私の血だ」 |
ナシャク | nashak | キス | ユダがイエスにキスをすると「ユダよ、人の子(イエス)を キスで売り渡すのか」とイエスが嘆きます。 |
ナシュ(エナシュ) | ('e)nash | 人、人類 | 大祭司カヤパ曰く「我々の法では人を死刑にはできない」 アラビア語の「ナース」(ناس)。 |
★ナッザーレ (ナッツァーレ) | Natsare | ナザレの、ナザレ人 | ※コラム「イェシュア」参照 |
〜ニ | -ni | 私を | アラビア語では「ニー」(ني) ※コラム「エリ、エリ、レマー、サバクタニ」参照 |
ハイ | xay | 命 | イエスが弟子たちに「私は真理、命である」と告げます。 |
ハイ | xay | 生ける | 大祭司がイエスに「お前は救い主、生ける神の子だというのか」と尋問します。 |
バイト | bayt | 家、神殿など | イエスが「神殿」という意味で使っています。「バイト・カデシュ」を参照。 |
バイト・カデシュ | bayt qadesh | 聖殿、神殿 | イエスは「神殿を打ち壊し、三日で建て直すと言った」と責められます。 |
ハダスァ | hadatha | 新しい | 「新しい契約の血」 |
バラバ(バル・アッバ) | Barabba(s), Bar 'abba | バラバ | bar(息子)+'abba(父の)。イエスの身代わりに釈放された殺人犯の名。 ※コラム「バラバ」参照 |
★バリ | bari | 我が息子。 | bar(息子)+i(私の)。マリヤが息子イエスを何度もこう呼んでいます。 |
★バル | bar | 息子。 | 「バリ」(我が息子)、「バルダウィド」(ダヴィデの息子)など多くの例が出てきます。 |
★バル・エラーハ | bar 'elah | 神の息子。 | bar(息子)+'elah(神の)。 キリスト教徒はイエスを神の一人子と信じています。 |
バル・ダウィド | bar dawid | ダヴィデの息子。 | bar(息子)+dawid(ダヴィデの)。 メシヤ(救世主)はダヴィデ王の血筋を引くと考えられていました。 ※コラム「マルカー・ユダーヤ」参照 |
★バル・ナシュ | bar nash | 人の息子、人間 | bar(息子)+nash(人の)。 劇中でイエスは自らをたびたびこう呼んでいます。 |
★フゥ | hu' | 彼は・を、 それは・を | ゲッセマネの園で大祭司の手下がイエスを探していると、 イエスが「アナー・フゥ」(私が彼だ)と答えます。 |
ブラム | bram | しかし、 しかしながら | 「ラー・〜・ブラム・…」で「…以外に〜なし」という熟語。 大祭司カヤパが「ラー・メレク・ブラム・カイサル」と言います。 「ローマ皇帝以外に王なし」という意味です。 |
ヘロデス | Herodes | ヘロデ | ユダヤの王に多く見られた名前。 この映画では、ガリラヤを領有した太守ヘロデ・アンティパスを指します。 ヘロデ大王の子で、洗礼者ヨハネを殺し、晩年はガリアに流刑となりました。 |
★マシーアハ(メシーハ) | meshihah | メシヤ、キリスト | 「聖油を注がれる者」という意味。大祭司がイエスを 「フゥ・ラー・マシーアハ」(彼はメシヤではない)と断じます。 ※コラム「マシーアハ」参照 |
マリヤム | Mariyam | マリヤ | ユダヤ人のごくありふれた女性名。 イエスの母マリヤ。あるいは「マグダラのマリヤ」。その他同名多数。 |
★マルカー、メレク | malka, melek | 王 | アラビア語では「マリク」(ملك)。ラテン語では「レクス」(rex)。 ※コラム「マルカー・ユダーヤ」参照 |
マルクータ | malkta | 王国 | 大祭司カヤパがイエスに「(神の)王国はどこだ」(エイ・マルクータ)と訊きます。 |
★モート | mot | 死、死刑 | ユダヤの祭司と民衆がローマ総督にイエスの死を要求します。 アラビア語のマウト(موت)と同根。 |
★マン | man | 誰 | アラビア語でも「マン」(من)。 |
ミン | min | 〜から | アラビア語でも「ミン」(من)。 |
ヤミーン | yamin | 右 | イエスが「人の子(=イエス)が主の右に座り」と言うと、 大祭司が「冒涜だ」と怒ります。アラビア語でも「ヤミーン」(يمين)。 |
ユダ(イェフダー) | Yehudah | ユダ | イエスの弟子の名。イエスを裏切ったのは「イスカリオテのユダ」。 |
ユダ(イェフダー) | Yehudah | ユダヤ | 古代イスラエルの南の地方。ローマ帝国のユダヤ州。 ※コラム「マルカー・ユダーヤ」参照 |
ヨハナン | Yohanan | ヨハネ | イエスの弟子の名。アラビア語でも「ヨハナーン」 |
ヨーム(複数ヨミーン) | yom,yomin | 日 | イエスが「神殿を壊して3日で建て直す」と言ったと大祭司が責めます。 口語アラビア語でも「ヨーム」。 |
★ラー | laa | いいえ、だめ | アラビア語でも「ラー」(لا)。大祭司がイエスを 「フゥ・ラー・マシーアハ」(彼はメシヤではない)と断じます。 |
ラビ、ラッビ | rabi | わが師、先生 | 「ラボニ」とも。イエスの弟子イスカリオテのユダが、 イエスに「我が師」とキスして 大祭司の配下に合図します。 |
ライラ、レイラ | layla | 夜 | アラビア語では「ライラ」(ليلة) |
レマー(ラマー) | lemah | なぜ | アラビア語の「リマー」(لما)と同根。 ※コラム「エリ、エリ、レマー、サバクタニ」参照 |
ローハ | ruha | 霊 | イエス最後の言葉「あなた(神)の手に我が霊をゆだねます」 アラビア語では「ルーフ」(روح)。 |
アラム語の簡単なセリフ 悪魔→イエス 「マン・アバク/ お前の父とは誰だ?」 「マン・アント/ お前は誰だ?」 ユダ→イエス 「シュラム・ラッビ/ ようこそ、我が師よ」 大祭司カヤパ→イエス 「エイ・マルクータ/ 王国というのはどこだ」 大祭司カヤパ→イエス 「エン・アント・マシーアハ・バル・エラーハ・ハイ/ お前はメシヤ(救い主)・生ける神の子なのか?」 大祭司カヤパ 「フゥ・ラー・マシーアハ/ 彼はメシヤなどではない」 大祭司カヤパ→総督ピラトゥス 「ラー、ラー・メレク・ブラム・カイサル/ いいや、(我らの)王はカイサル(ローマ皇帝)だけだ」 |
「アドナイ」(Adnai 主よ)…ヘブライ語。アラム語では「アドン」 ユダヤ教の神の名は、おそらく「ヤハウェ」あるいは「ヤーウェ」などだったらしいと言われています。 ところで、モーセの「十戒」には「主の名をいたずらに唱えてはならない」とあります。古代のユダヤ人は、 これを字義通りに解釈して、神名を唱えることを慎むようになりました。日本には「言霊」 という言葉がありますが、古代人にとって名前とは呪文のようなもので、名前を唱えることには霊的な効力 があるので慎まなければいけないと考えられたのかも知れません。日本でも名前は呪術的に見なされていました。 このためユダヤ教徒は、神を「アドナイ」(主)、「ハシェム」(御名)などと別称で呼び習わしたのです。 映画の中でも、イエスは神に「アドナイ」または「アバア」(我が父)と呼びかけています。 ちなみに「アドナイ」はヘブライ語で、アラム語に輸入されて「アドン」となったようです。 宗教用語だからヘブライ語で呼んでいたのだろう、と判断されたのでしょうか。 ただしイエスが神を「主」と呼ぶのはいいとして、ペテロやヴェロニカがイエスを「主」と呼んだ場面には首をかしげます。 また、錯乱したユダを子供がとっちめるシーンで、子供を「アドナーヤ」と呼び、「悪魔(Satan)の」と訳されています。 後述しますが、ユダヤ教・キリスト教には神←→悪魔の二面性があるのでしょうか。 後日談ですが、当時のヘブライ文字には母音を表す符号がなかったため、後世になって本当の神名が何であ ったのか、まったく判らなくなってしまいました(笑)。かつて考えられた「エホバ」、今日の「ヤハウェ」 や「ヤーウェ」などはあくまで推定にすぎず、ユダヤ=キリスト教の本当の神名は今でも判らないままなのです。 |
「エラーハ(エラーフ)」('elah 神) 「エラーハ」は「神」を表わす一般名詞で、ヘブライ語の「エロハー」(単数形)・「エローヒーム」(複数形)に相当します。 ヘブライ語聖書(旧約聖書)では、「ヤハウェ」を神名とするものと「エローヒーム」を神名とするものが混在しています。 「神の子」はアラム語では「バル・エラーハ」となります。 「エラーハ」は、アラビア語で唯一神を表わす「アッラーフ(アッラー)」の語源であるとも言われています。 「アッラーフ」は日本ではイスラーム教の神名だと思われていますが、実際はアラビア語でユダヤ教・キリスト教・ イスラーム教の三宗教に共通の呼称です。 |
「イェシュア・ディンザーレ/イェシュア・ナッザーレ」(Yeshu`a di-nSaare ナザレのイエス) ユダヤ教徒はモーセの「十戒」により本当の神の名を呼ばなかったと書きましたが、子供の命名をするときには 「ヤ」「イェ」など「ヤハウェ/ヤーウェ」の短縮形をつけました。ナザレ人イエスのヘブライ語・アラム語の 名は「イェシュア」または「イェスワ」で、「ヤハウェ(ヤーウェ)は救いなり」という意味の「イェホシュア」の短縮形です。 映画「パッション」では、母マリヤは「イェスワ」、他の人は「イェシュア」と呼んでいるように聞こえます。 「イェシュア/イェスワ」のギリシア語での音訳が「イエスス」、日本では「イエス」となっているわけです。 イエスは、しばしば出身地であるナザレの名によって「ナザレのイエス」と呼ばれます。 ナザレは、ガリラヤ地方にあった町です。後に「ナザレ人」はキリスト教徒を表す呼称となりました。 ガリラヤ地方はヘロデ王が名目上の統治者であったので、イエスは一時ヘロデ王に引き渡されることになります。 「ディ」は所有格「〜の」を示します。「ナッザーレ」(ナザレの)に接続して「ディンザーレ」となっているようです。 上の画像は、左が映画のパレスチナのユダヤ人が用いていたアラム文字。右が国際的なアラム文字による表記です。 |
「マシーアハ」(Mashiakh 救い主、メシヤ、キリスト) アラム語では油を「メシャハ」(meshah)といい、「マシーアハ」(mashiah)は「聖油を注がれたもの」⇒「救い主」 となります。日本風にいうと「メシア」「メシヤ」。これのギリシア語訳が「クリストス」で、日本では「キリスト」 と訛っています。原語では、英語のtheにあたる定冠詞「ハ」が付いて「ハ・マシーアハ」(the Christ)となり、 映画の原題「The Passion of the Christ」にも反映されています。 ユダヤがバビロニアに侵され、バビロンに虜囚となった苦境のとき、ユダヤ教が発生したといわれています。 ユダヤ人を捕囚から解放した大キュロスを、ユダヤ人は「聖油を注がれた者」=「救い主」と崇め、メシヤ信仰が生じます。 ユダヤ人が代々メシヤを求め続けるなかで、やがてユダヤ教過激派セクトの指導者であったらしいイエスがメシヤと 見なされるようになり、権威ある司教たちから危険視され、これがもとでイエスは十字架刑に処されることになりました。 |
「マルカー・ユダーヤ」(Malka Yehudahya ユダヤ人の王) 古代イスラエル・ユダヤでは代々の王が聖油を注がれる習慣があり、メシヤは「王」であるとも考えられました。 メシヤ(救い主)信仰のきっかけを作り、最初にメシヤと呼ばれたのは、ユダヤ人を解放したイラン初代皇帝キュロスですが、 彼はユダヤ教を信じてはくれませんでした。やがて、ギリシア・ローマなど異教徒によってユダヤが侵されるうちに、 イスラエル黄金期のダヴィデ王の子孫(バル・ダウィド)こそが「救い主」であり、「ユダヤ人の王」となるべきであると 考えられるようになってゆきます。新約聖書の冒頭にダヴィデ王からイエスに至る系譜が書かれているのはそのためです。 奇妙なことに、イエスは処女マリヤから生まれたことになっているので、ダヴィデとは血がつながらないはずですが。 イエスは自ら「ユダヤ人の王」であると主張しますが、実際の権力を求めるとローマ帝国に弾圧されますから、 「天の王国」を治めるのだ、と政教分離みたいな主張をしますが、結局のところ処刑されてしまいます。 十字架上の文言は「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」で、「ユダヤ人の王」を僭称した罪である事を示唆しています。 上の画像は、左が映画のパレスチナのユダヤ人が用いていたアラム文字。右が国際的なアラム文字による表記です。 |
「ケーファ」(ケーパ Ke'fa' ペテロ) イエスは弟子の「シメオン(シモン)」に、「汝の名は《岩》なり、その岩の上にわが教会を建てよう」と言ったとされています。 この《岩》がアラム語で「ケーファ」。「ペテロ」は古典ギリシア語の「ペトロス」(Petros、岩)からきているようです。 福音書は古典ギリシア語で書かれており、「ペテロ」というのは「ケーファ」のギリシア語への意訳だったんですね。 日本風に言えば、「岩男」かなぁ。ちなみにヨルダンには、ナバテア人の岩の遺跡「ペトラ」(Petra)があります。 ケーファ(ペテロ)がイェシュア(イエス)を3度知らないというシーンは泣かせます。 拷問と処刑のシーンに彼は姿を見せませんでした。伝承では、後にローマ・カトリック教会の礎を築き、ローマで刑死(殉教)した とされています(その伝承が史実かどうかは論争の的です)。 伝ケーファ(ペテロ)の墓があるのがローマのサン・ピエトロ大聖堂で、彼は初代「ローマ教皇」と見なされています。 |
「バラバ」(バル・アッバ Bar 'abba 父の息子) はっきり有罪とはいえないイエスを何とか釈放しようと、総督ピラトゥスは年に一度の恩赦を持ち出します。 このときに引き出されるのが「バラバ」で、暴動のさなかで人を殺してしまったようですが、 ヨハネの福音書では「強盗」などとなっています。ところで「バラバ」とはアラム語でどういう意味なのでしょうか。 実はマタイの福音書の初期のテキストなどでは、彼の名は「イエスス(イエス)・バル・アッバ」となっていたようなのです。 「バル・アッバ」はアラム語で「父の子」を意味し、「神の子」を連想させます。しかも名前まで「イエスス(イエス)」! 非常に意味深長ですばらしい名前です。強盗ではなく、暴動の中で誤って人を殺してしまうことはありうることでしょう。 しかし、後代のキリスト教徒たちは、殺人者の名前が「イエス」であることを好まなかったのでしょう。 「父の子イエス」というすごい名前はやがて改竄され、「恐ろしい殺人強盗バラバ」のイメージが作り上げられていくのです。 アラム語読みは「イェシュア・バル・アッバ」です。 (参考:Wikipediaの記事 Barabbas(英語)) |
「シャダイ」(Shaday 悪魔、全能者) 映画の中で、ユダヤ人たちがイエスの力を「シャダイヤ」(悪魔の)と形容しているのを聴いて、目から鱗が落ちました。 ユダヤ教・キリスト教にふれたことのある人なら、神が「全能の神」と呼ばれるのを見聞きしたことがあるでしょう。 「全能の神」を表すヘブライ語・アラム語が「エル・シャダイ」で、今も使われています。 今は亡きイエメン系ユダヤ人の歌姫オフラ・ハザのヒット曲が「シャダイ」で、全能の神への想いが歌われています。 ところがアラム語の「シャダイ」には、「全能者」のほかに「悪魔」という意味もあります。ヘブライ語の「シェド」です。 ユダヤ人の信仰が他の神を一切認めない「唯一神教」である「ユダヤ教」になったのはバビロン捕囚以降といわれています。 インド=ヨーロッパ語(印欧語)系であるゾロアスター教の一神教的善悪二元論が大きく影響したと考えられています。 もともとアーリヤ人の信仰では神も天使も悪魔も種族のちがいに過ぎなかったが、彼らがインドとイランに分かれた後で、 善神・天使と悪神に分裂して行ったのでしょう。イラン・ゾロアスター教で形成された強烈な善悪二元論がユダヤ人を感化 した結果、同族だった「シャダイ」が善神・天使と悪魔に分化したのかも知れません。 ちなみに、ユダヤ=キリスト教にはたくさんの天使・悪魔がいますが、堕天使ルキフェルは後代になってからの創作です。 |
「エリ、エリ、レマー、サバクタニ」(我が神、我が神、なぜ、私を見捨てたのですか) 福音書でもアラム語で表現されているイエスの生の言葉で、 十字架にかけられたイエスが死に際に神に呼びかけた悲痛な言葉とされています。 「エル」が「神」で、「エリ」が「我が神」。「レマー」が「なぜ」、「サバカ」の完了形が「サバクタ」(見捨てた)、「ニ」が「私を」です。 福音書がイエスを神格化し、「死から復活」させたにもかかわらず、この赤裸々な言葉は人間イエスの本当の真実を伝えているようで、 非常に物悲しく感じられます。素人は映画を観るとこのように感じるのですが、注釈なしの聖書を読んでいた明治期の日本の文学者も 「イエスも十字架にかかった最期は人間的だった」と感じたようです。 ところがこれには裏があって、十字架にかかったイエスがつぶやいていたのはどうやらユダヤ教聖書(旧約聖書)の『詩篇』の章句 だったようです。「我が神、我が神、なぜ、私を見捨てたのですか」とは『詩篇』22章1節の章句で、「神を信じ神に忠実な者は 神に見捨てられることがなく長寿を全うする」という信仰に拠っていて、「神よ、私を見捨てないでください」という叫びでもあります。 イエスの最期の言葉「あなた(神)の手に我が霊をゆだねます」もやはり『詩篇』31章5節の章句です。十字架上のイエスは『詩篇』を 暗誦していたのだ、と考える人もいるようです。イエスが敬虔なユダヤ教徒であったことが判ります。 しかしながら『詩篇』はヘブライ語で書かれているので「エリ、エリ、ラマー、アゼベタニ」となっています。 それをアラム語に訳して言っており、福音書でもわざわざアラム語の読み方を載せているというのは、単なる暗誦だったといえるでしょうか。 やはり、殺される前の無念の叫びだったような気もします。 |
ラテン語 | 綴り | 日本語訳 | 参考 |
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アヴェ(アウェ) | ave | 万歳 | ローマ兵がイエスを「蛆虫どもの王、万歳」とからかいます。 |
アベナデール | Abenader | アベナデール | 総督ピラトゥス配下の百人隊長。 |
イイー | Ii | 行け | ローマ兵がイエスの逮捕を上司に知らせるため、 同僚にこう命令しています。 |
イエースス ・ナザレーヌス | Iesus Nazarenus | ナザレのイエス | 出身地ナザレの名からこう呼ばれます。 |
ヴェーリタス (ウェーリタス) | vēritās | 真理 | イエスが「真理」と言うと、総督が「真理とは何だ」と問い返します。 ピラトゥスはその後も「真理とは」と自問します。 |
エッケ | ecce | 見よ | ピラトゥスがイエスを指して群衆に「この人を見よ」と言います。 |
ガリラエウス | Galilaeus | ガリラヤ人は | 「ガリラエウム」を参照。 |
ガリラエウム | Galilaeum | ガリラヤ人を | 「ガリラエウス」の対格(目的格)。 総督の元にガリラヤ人の預言者(イエス)が捕らえられたとの報が入ります。 |
クウィド | quid | 何が | 総督がイエスに「真理とは何だ」と問います。 |
クウェム | quem | 誰を | ガリラヤの預言者を捕らえたとの報にピラトゥスが「誰を」と問います。 |
グベルナートル | gubernātor | 指導者(総督) | ユダヤ大司教カヤパ(カイアファス)がピラトゥスに呼びかけます。英語のGoverner。 |
クラウディア | Claudia | クラウディア | 総督ピラトゥスの夫人 |
クール | cur | なぜ | ピラトゥスがイエスに、なぜユダヤ人たちがイエスの死を望むのかと尋ねます。 |
クルクス | crux | 十字架 | 古代ローマの残虐な刑罰。 |
コーンスル | consul | 執政官 | ユダヤの祭司が総督ピラトゥスをこうも呼んでいます。 |
コンデムナーレ | condemnare | 有罪の判決を下すこと | クラウディアが総督に「このガリラヤ人を有罪にしないで」と懇願します。 |
サングイス | sanguis | 血 | 次の暴動で流れるのは総督の血だと、皇帝が総督に警告していたようです。 |
サンクトゥス | sanctus | 聖なる(方) | 総督夫人クラウディアが、「有罪にしないで。(イエスは)聖なる方よ。」 と擁護します。 |
チェーザレ (カエサル) | Caesar | ローマ皇帝 | ラテン語としての発音は「カエサル」ですが、 ピラトゥス役の役者はイタリア語風に「チェーザレ」と発音していました。 アラム語では「カイサル」(Qaysar)。 |
ディスキプルス | discipulus | 弟子、生徒 | 「(イエスを)有罪にすれば、弟子たちが暴動を起こす」と総督は悩みます。 |
ナザレーヌス | Nazarenus | ナザレの(人) | イエスの出自。 |
ノーリー | noli | 〜しないで | クラウディアが総督に「このガリラヤ人を有罪にしないで」と懇願します。 |
ヒエロソリマ | Hierosolyma | エルサレム | 劇中では、この呼称は出てきません。 |
プロフェータ | propheta | 預言者 | イエスはガリラヤの預言者と見なされました。 |
ホモー | homo | 人 | ピラトゥスがイエスを指して群衆に「この人を見よ」と言います。 |
ポンティウス ・ピラトゥス | Pontius Pilatus | ポンテオ・ピラト | ローマ帝国のユダヤ総督。 |
マーイェスタース | maiestas | 威厳、陛下 | ローマ兵が「ユダヤ人の王」イエスをからかって「陛下」と呼びます。 |
ムンドゥス | mundus | 世界、地上 | 奪格は「ムンドー」(mundo) イエス曰く「私の王国は地上の世界にはない。」 |
ユーダエア | Iudaea | ユダヤ | パレスチナ南部の地方。ローマ総督が統治する。 |
ユーダエウス | iudaeus | ユダヤ人 | ローマ兵が十字架を運んだキレネ人シメオンを 「ユダヤ人め」と罵ります。 |
レクス | rex | 王 | ピラトゥスがイエスに「お前はユダヤ人の王なのか」と問い質します。 アラム語では「マルカー」。 |
レクス ・ユダエオールム | rex iudaeorum | ユダヤ人たちの王 | これを僭称したとして、イエスが十字架刑になります。 |
レーグヌム | regnum | 王国 | ピラトゥスとの会話で、イエスは「天の王国」について語っています。 「天国」はregnum caelorum。アラム語で「マルクータ」。 |
「NOLI HVNC HOMINEM GALILAEVM CONDEMNARE. SANCTVS EST.」 「ノーリー・フンク・ホミネム・ガリラエウム・コンデムナーレ。サンクトゥス・エスト。」と読みます。 「このガリラヤ人を有罪にしないで。聖なる方よ。」 ローマのユダヤ総督ピラトゥスの妻クラウディアが、イエスを罰しないように夫を説得する言葉です。 |
「REX ES TV」 「レクス・エス・トゥ」「お前は王なのか?」 総督ピラトゥスがイエスをラテン語で尋問する場面での言葉です。 それに対してイエスは、私の王国は天上にあると答えます。 |
「QVID EST VERITAS」 「クウィド・エスト・ヴェーリタス」「真理とは何だ?」 同じく総督ピラトゥスがイエスをラテン語で尋問する場面での言葉です。 イエスが、私は真理を証明するために生まれてきたといい、 ピラトゥスが「真理とは何だ?」と問います。 |
「ECCE HOMO」 「エッケ・ホモー」「この人を見よ」 総督ピラトゥスが拷問で傷だらけのイエスを指して群衆をたしなめる有名な言葉です。 (ヨハネによる福音書 19:5;14) ニーチェの著作の題名にもなっているほどです。 ちなみに、HOMO(人を)が対格(目的格)ではなく主格のため奇異に感じる人もいるようですが、 これは福音書のギリシア語原典がそういう表現になっているためラテン語訳も表現を合わせたようです。 |
「IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM」(ユダヤ人たちの王であるナザレのイエス) 「イエースス・ナザレーヌス・レクス・ユダエオールム」と読みます。 イエスがかけられた十字架の上に書かれた言葉です。 「ユダヤ人の王」を僭称した罪により「ナザレの人イエス」を処刑すると書かれているわけです。 西欧の宗教画では、この頭文字「INRI」がしばしば用いられました。 |
「NOLI ME TANGERE」(私にさわってはいけない!) 「ノーリー・メー・タンゲレ!」と読みます。映画「パッション」には出てきません。 ヨハネによる福音書20章17節で、復活したイエスが発見者マグダラのマリヤにこう言う有名な言葉です。 イエスがまだ昇天していないからだということですが、イエスに頼るなという意味だという人もいます。 |
「QVO VADIS DOMINE」(主よ、あなたはどこへ行く?) 「クウォー・ワーディス、ドミネ」と読みます。これも映画「パッション」には出てきません。 キリスト教会の伝説またはそれを元にした小説によればこうです。 キリスト教への迫害はローマにいたペテロにも迫ってきた。 ペテロはローマから逃げ出し、途中で一人の男に出会ったが、それは何とイエスだった。 「主よ、あなたはどこへ行くのですか?」 イエスは答えた。 「お前が私の民を置いて去るのなら、私は再び十字架にかかるためにローマへ行くだろう」 この言葉に深く感じたペテロはローマに戻り、殉教したのでした。 イエスと同じ十字架の姿では恐れ多いと感じたペテロは、逆さ磔になったということです。 有名な話で、ポーランドの作家ヘンリク・シェーンキェビッチの小説「クォ・ヴァディス」にもなっています。 |